ざわざわ

投稿日:
2009年04月15日
カテゴリー:
雑多な事

アルバイトをしている。ある個別指導塾だ。2月に採用されて、4月になってシフトが安定してきた。週に3日ほど、いつも夕方から授業をはじめて帰宅するのは22時をまわる。生家からは距離があるので、車で通っている。今日はいつもと違う経路を取ってみた。すると、胸がざわざわするような、そんな連続した風景に出会った。その風景はまったく美しくないと思う。しかし、私は胸を打たれてしまったのである。おそらくそこに、私の知りたい真実が垣間見えていると思う。今日は、その体験を説明してみようと思う。

生家までの裏道として、細長い沢の底を延々と走り、ある程度進んだところで斜面を登って、ちょっとした峠を越えて生家のある集落に入る道がある。生家のある八戸市は港町の印象があるが、市域のうち、起伏のある地形は思ったよりも多い。集落もその多くはちょっとした起伏に区切られている。市史を参照すると、土地の改良事業が行われたようで、そういった起伏はある程度削られたらしい。1990年以降は、削ることから、起伏と起伏の間に橋をかけたり、起伏をくりぬいて隧道とするなどという工事を見ることができる。いわゆる「公共事業」というやつだ。市民が発起人ではないため、「公共」ではなく「官僚事業」という言葉を使うべきだと思う。

話がそれたが、今日通ったのは、そんな起伏と起伏の間。そこには川が流れていて、現在の流量はそれほどでもないが、起伏の間に古い集落がみられないことから察するに、おそらく昔はたびたび氾濫するような川だったに違いない。現在は、その川はコンクリートの法面で覆われた水路となってしまっている。しかし水田が覆っていて、近代的な建築の民家が点在しているような箇所である。そういう風景に、夜中、車を走らせるとどうなるか。街灯はあまりないため、車のヘッドランプをアップにしないとあまりにも光がないため、この先がカーブになっているかどうか、判別できない。そんな暗さを体験できる。

勝手知ったる道とはこのことで、まぁだいたいどう走ればいいか分かる。じゃなきゃこの裏道を使おうとは思わないだろう。なぜなら、父は昔、私を乗せた車を運転し、この道を好んで利用ていたからだ。その真意を問い質したい気持ちになる。まぁいいや。そんなわけで、この道を走った。

車を進めると、街路灯が明々と灯された陸橋が、視界の上部を横断した。見上げるとはこういうことなのだ。それだけならまだ、ここまで取り乱したりはしなかっただろう。私はその奥をもう一度見上げたのだ。そこには、厚生年金休暇センターの宿泊棟が高くそびえ、窓という窓には明かりが灯されて、黒い空間を、たくさんの四角が、穴を開けていた。このセットに私の感情は大きく揺さぶられてしまった。どちらか一方だけではたぶんこれほど動揺することはなかった。しかし、そのセットは、絵画の構図になぞらえるなら、画面中央を陸橋が横断し、その右上部に宿泊棟が描かれ、絵画の下部は、田んぼとその間の細長く続く舗装道路が、暗闇に、ぼんやりと描かれるに違いない。そして私の本性は、画面の下部にしか、親和性を感じず、その全体の構図は、私のなかで、大きなコントラストを描いては消えていった。そして最後には、心のざわめきが残された。

それは一瞬のことだったので、保険の関係から、車で事故を起こすことが出来ない身の上の私は、そのことを運転でまぎらわせようとし、その試みは成功したかに思えたが、それ以降もこうして、心のざわめきは収まるところを知らない。そしてそれが私には奇妙な事に思えた。こういった風景は、日本中、どこでも、見ることが出来たはずだ。日本の全てを知っているとは口が裂けても断言できるわけではないが、こういった風景は、日本中どこでもみることができるんだ、おそらく。そのことと、幼いころから通っていた風景の変化が重複したとき、私の抱えている課題が、鮮やかにクローズアップされてしまったに違いない、きっと。

そのことを、既存の問題にカテゴライズしてしまったのでは、そこに暮らす人間と、そこに関係する人間のリアルが反映されてはいない。この問題は、日本中どこにでもある問題であり、そしてそこに生きる人だけの課題でもあるのだろう。そして私の精神は、ここ八戸で、その課題に気づいてしまったと同時に、学生時代を過ごしたつくば市や、選手であった時代を過ごしたたくさんの都市、そういったものを連結する、そういったものを流れている課題として、再認識したのだった。そしてその答えを探す作業は、途方もないものに思える。が、おそらくやるのだろう。

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