すぐ隣の音楽好きのおじさんとのお別れ

投稿日:
2009年05月09日
カテゴリー:
雑多な事

日曜日にニュースで見てから、ずっとそれが頭にこびりついて離れなかった。それ、とは、この刺激に対して、どんな言葉をまとめたらいいかということ。最も、言葉をまとめなければならない義務はないんだけれど、どうしても言葉にまとめたいという気分が離れなかったからなのだ。

私自身は、彼についてそれほどよく知らないし、彼の音楽をすべて聴いたことがない。それどころか、彼の音楽を口ずさんでみてと言われても、口ずさむことができない。つまり、彼の音楽のファンではないんだと思う。そんな私なのに、今回のことが頭から離れなかった、相応にショックを受けたのが、私自身、とても不思議でならなかった。何に対して私の本性が反応したのだろうと、ずっと考えていたわけだ。

私は、彼の音楽を口ずさむことができない。そればかりか、彼の音楽は、毎日聞きたいとは正直思うことができないという印象を持っている。ファンの人には申し訳ないんだけれど。けれど、けれどね、彼の印象だけは、強烈に持っているんだよ。

それは、あぁ、この人、本当に音楽をやっていたいんだなというものだ。この人の人間性が、人間存在そのものが、音楽を通じて、私にびりびり届いてくる。そこには、右翼とか左翼とかそういったイデオロギーもなく、この音楽を通じて社会に貢献しようという、ちょっと気張った主張もなく、もっとたくさんの人に聞いてほしいとかそういうことでもないと思う。彼の、そういったもろもろのカテゴリーを超えて、彼自身が感じていることが、そのまま伝わってくる。

雪遊びをしているとき、雪に真正面から体を押し付けて、自分の等身大の型を作ったことがあるだろうか?ちょうどその型とぴったり同じ面積だけ、彼が私の目の前にあって、その面積が私に向かってやさしく立体化する。その立体は、今度は彼の奥行きをはるかに超えて、この3次元の世界に投影している4次元、ひょっとしたらそれをはるかに超えるn次元(nはいくつでもいい)の彼が感じられるほどの奥行きをもった写像が、私の中に開けてくる、そんな印象だ。

彼に関しては、私はこんな印象なんだ。曲は耳に残らないんだけど、なんていうか、すぐ隣に住んでいそうな、風変わりだけど、音楽をやることがよくてよくてしかたがないおじさん、しかも何を歌っているのかよくわからなくて、一見すると自信なさげなんだけど、でも胸を張って歌っている。

夜中、一人の部屋で何かに震えているときに、そんなおじさんの声がふわりと届いて、ようやく、涙腺から別な感情が視界を覆い、その幕が開けたときには、あたりににぶい光が差し込んでいる。あぁもう夜が明けたんだ、完全ではないけど。そんな気分にさせてくれる。そんな愛らしい、変なおじさんなんだ、私にとっては。

私にとっては、彼は、日本の一般的な報道の言う「日本のロックの神様」ではなく、愛らしい、すぐ隣に住んでいる、変なおじさんだった。

そういうおじさんが別な世界、ひょっとしたら彼の本来の次元、n次元に帰ったのかもしれない。帰ったというのもおかしいので、この3次元の世界に彼を投影=表現するのを止めて、今度は別な次元の世界に投影しにいったんだと思う。例えば2次元とか(笑)。そして、その次元でも彼は同じように表現しているに違いない。

さようなら、隣のおじさん。

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