今年の日本代表が選考されました。
男性4名、女性2名。
選考基準は明確にされていて、予選を通過して決勝に進出できそうな者、リレー競技に適した選手ということでした。
例年とりあえずフル・エントリー(男性6名、女性6名)していたので、それとは異なり、わかりやすい方針が打ち出された気がします。

私は選考外でしたが、怪我とか体調不良とか精神不調とかあったので、仕方ありませんと考えて、安心することにしている。

さて最近、とある哲学者(教科書に載っているくらいの有名人。おそらく知らない人はいない?)の本を読むことがあって、いくつかある小論のうち、「魂について」と呼ばれているものについて考えたこと。

魂は旅をする。
身体はその仮の宿みたいなもの。

こういった考えが、古代ギリシャにもあり、そして日本にもあるというのが面白い。



日本には、人形、お雛さまの雛がある。
それらは水に流されたり、燃やされたりするために作られた。
魂を、再度、旅に出すためなのだと、私は思う。

魂を滞らせずに流れ=旅へと戻すのがその目的なのだろう。
滞った魂は、怪談に散見されるように、悪さをするのだと考えていたように、私は思う。

しかし、雛人形や紙雛流しを通過儀礼ととらえたとき、私は、一人の人間に、異なる魂が入れ替わり立ち代り、出たり入ったりしているイメージが沸きます。
はて、となると、ひとりの人間に宿っている人格はいったいどういうことになるのだろう?

ううむ。よくわからなくなってきた。

そして次に、わいてくるのが、魂の代わりにお金を運んでいる身体のイメージ。
お金も入れ替わり立ち代り、出たり入ったりしてる。

はて、その人はいったいどこにいるんだろう?