追憶 – 2007年度の筑波大学オリエンテーリング愛好会

この文書を、2007年度日本学生オリエンテーリング選手権大会ミドルディスタンス・リレー競技部門実行委員会、特に私の同期である2001年度入学の桑野文さん、東口晴一くん、そして筑波大学オリエンテーリング愛好会とそれに関係したすべての人に奉げます。

2007年度の日本学生オリエンテーリング選手権大会リレー競技部門の前日、ミドル・ディスタンス競技部門が終了したその夜に、その出来事はおきました。これは、その出来事とその背景から筑波大学オリエンテーリング愛好会(以下、学生クラブ)の記録を試みた文書です。


私はその年、ある選手(大学4年生、女子)のコーチングを行っていました。選手の状態を簡単に言うと、大学1年の秋に膝を負傷、その後無理を重ねた結果、日常生活に支障が出るほどに悪化してしまいました。大学1年の冬、オリエンテーリングの競技活動を停止、そして度重なる手術。大学3年の中ごろになってようやく運動を行えるようになるまで回復。私がコーチングを引き受けたのはちょうどそんな時期でした。私自身も決して怪我がない競技生活とは言えなかったので、その経験を生かして怪我を保護しつつ選手の競技能力を向上させることはできるかなと考えました。また、選手との時間を通じて、現在の学生クラブの状況を知ることができました。

(彼女には同じ学生クラブに、同じ年齢の友達がいました。その友達は女子選手であり、日本学生選手権や日本のオリエンテーリング大会では周囲と比較してよい成績を上げており、日本の女子選手の間ではそれなりの知名度のある選手でした、私がコーチングしていた選手は、私との会話の中に頻繁にこの選手の名前を出してきたので、私は、二人はとても関係性が深いのだと推測しました。おそらく、そこには憧憬や劣等感を利用した満足などそういった人間関係が発生しているのだろう、と。)

さて、ミドル・ディスタンス競技部門が終了したその夜、私はコーチングしていた選手の様子を見るため、筑波大学の宿を訪問しました。意味のない激励をするのは私の性格ではないので、コーチングしている選手の体調や精神状態を聞いて、何か気づくことがあったらアドヴァイスして帰宅するくらいの心持ちでいました。同じ宿には男子リレー選手権優勝候補の東北大学オリエンテーリング部が宿泊していて、玄関では私が出場したジュニア世界選手権のチームメイトとの再会があり、学生選手権というものの持つ関係性の深さを感じました。学生クラブが宿泊しているフロアに到着して、その選手の様子を見に行きました。この日行われたミドル・ディスタンス競技部門でその選手は予選を通過し、決勝に進出。決勝では失格という結果でしたが、その選手の1年前の状況からは誰が想像できたでしょう。ここまで来るのには彼女はいろいろな課題を解決しなければならなかったはずです。その選手はそれを十分とは言えないまでも乗り越えてここにいるのです。私も一人の選手として、その努力に敬意を表したいと思いました。

その選手へ明日への対応を含めいくつか会話を交わすと、ある事情を説明してくれました。明日、女子選手権クラスに出場する3名のうち1名が、負傷しているとのことでした。詳しく話を聞いてみると、膝に問題があるということでした。この時点で私は、打撲か切り傷程度のものを考えていました。ミーティング部屋に通され、人がちらほらと集まってくると、その女子選手もいました。が、膝が曲げられないようで、かた膝はずっと伸ばしっ放しでした。曲げることが出来ないのでしょう。学生クラブには選手がオフィシャルと呼んでいる競技活動のまとめ役がおり、彼は1998年に入会したOBでした。彼に、ミーティングが終わり次第、様子のおかしい女子選手の様子を見たいということを伝え、ミーティングが始まりました。

これは、とてもひどい状態なのかもしれないと、背中に冷や汗が走ったことを覚えています。私自身は、膝に問題のある選手のコーチングをするために、また自分自身が膝や腰、肩に問題のある選手であるので、それらの痛みを和らげつつも機能を最大限に生かすという課題を持っていました。そういった事情から膝の怪我の保護や悪化の防止、運動の仕方などに関していろいろな文献を参考にし、自分の体を使ってよい方法を模索していました。また、私自身のコーチが理学療法士であったので、彼の知識や技能から利用できるものを引き出すということもしていました。そういった知識を動員すると、その女子選手の様子は、かなり悪い部類、立って歩けないくらいの悪化であると思えたのです。ミーティング中のことはあまり覚えておらず、そのことばかり考えていました。膝の負傷箇所の特定とそれに応じた保護と運動処方、そういったことが頭の中を巡っていました。

ミーティングが終わり、その女子選手の了承を得た上で膝の様子を見ました。まず、必ずチェックすること。片足で自分の体重が支えられるかどうかということ。結果、負傷した側の脚では立つことができないということがわかりました。次に、膝の腫れ具合。着ている物をめくってみると、膝は正常な膝と比較しても、ぶよぶよに腫れ上がっていることがわかりました。そして、膝周りを部分的に圧迫してみました。打撲などが原因の場合、圧迫すると痛い箇所を特定して、そこを冷却したり、テープで支えたりしなければならないからです。この女子選手の場合は、膝全体に痛みがありました。私は最悪のこと、たくさんある膝の靭帯のどれかが断裂して内出血が起こり、それが内側から膝関節を圧迫している状態を考えました。こうなると、運動すればするほど内出血が進み、外科的な手術と長いリハビリテーションをする必要があります。そしてそれは、私がコーチングした選手が長い間、そしてこれからも苦しまなければならないことでした。

私はその選手に伝えました。膝が腫れている。内出血の可能性がある。片脚で立てない以上は、運動することは避けたいと思う、と。それに対して彼女は答えました。それでも選手権クラスを走りたい、と。私は次に、オフィシャルと呼ばれている彼に同じ事を伝えました。彼は私に尋ねました。本人はどうしたいと言っているのか、と。私は選手から聞いたありのままを答えました。走りたいそうだ、と。

彼はミーティングの後も女子メンバーは全員この部屋に残るように言っていたので、その場にはすべての女子メンバーが残っていました。また男子メンバーのほとんども残っていました。私は全体に対して説明を試みました。説明して、彼女をリレーの3人からはずしてもらえるように説得を試みたかったのです。クラブ員全員は当然、私がある選手をコーチングしていることも知っているだろうし、その選手が今までどういった苦労をしていたかを見ていたはずだったので、そこに説得の糸口を持っていきました。

私はまず、私がコーチングしている選手のこれまでの経過に関する説明からはじめようとしました。すると、オフィシャルと呼ばれている彼はそれを後回しにして、率直な状況説明を求めました。私はそれを断って説得を続けようと試みましたが、彼は私の発言を抑え、彼自身が皆への説明を代弁しました。そして、状態の説明を私に求めたのです。私は状態の簡単な説明と最後に彼女をこのまま病院に送る事を提案しました。そして彼は、すべての決定を学生クラブのメンバーの多数決に委ねたのでした。私はこの時点で、かなりの失望を感じていました。おそらく、状態の説明だけでは、彼女を病院に送るような決定はされないだろう。それはこの場にいる全員、決定権を持っている全員が、膝の構造や障害それが本人に及ぼす継続した悪影響に関して正確な情報を持っていないからであって、その状態で決定を委ねた場合、選手権というものの持つ要求に従い、彼女を選手権クラスに囲うだろうと。もしクラブ員がそれらに関する正確な情報を持っていたならば、少なくとも、私がコーチングしていた選手は、ここまで怪我を悪化させる前に、クラブ員による説得と制止がされていたからです。だからこそ、私は説得を試みたかったのです。

しかし、現実はそうはなりませんでした。その場にいた全員は彼女にどうしたいか尋ね、彼女は走りたいと言い、本人の意思を尊重したいという論理で、今夜中に病院で診察することをせず、明日の朝の様子を見て決めるということになったのでした。私はさらに反対しようと思いましたが、おそらくこの場にいる全員を説得するのは不可能であるということを納得してしまっていたので、その行為に対して徒労を感じてしまい、それ以上の説得を諦めてしまいました。私は、諦めてしまったのです。その瞬間の絶望は、言葉に言い表すことができません。もうひとり、膝に障害を持つ選手を作ることに、加担しているからです。全体がそのように動いてしまい、負傷している本人自身もそれに納得している状況にあって、再評価の機会が与えられていない情況。全体というものがあって、その全体に個人が奉仕されている、その結果、個人が被害を被っても、自己責任や本人の意思を尊重してという論理で貫かれてしまう。しかし、責任というものは関係性の上で発生するものであって、個人だけで果たすことのできる責任なんて存在しないではないですか、と私はこの場にいる全員に語りかけたかった。自己責任という言葉や、本人の意思を尊重してという言葉は、責任そのものを果たすという意味で使われるわけではなく、そこには責任を限定することで利益を得る全体を作りだすという意味で使われるのですよ、と。

その後、私はその選手の膝の状態を確かめ、何度も氷嚢を詰め替えて一晩かけて徹底的に冷やし続けることと、膝を固定してなるべく動かさないこと、屈伸をするといった運動をしないことなどを指示しました。そして、何か不安があったら、私がコーチングしていた選手に相談することをアドヴァイスしました。一般的に、負傷した選手はとても不安を感じるものです。病院で容態が確定している場合ならまだしも、このように病院を考慮しない決定下にあるので、その不安はとても大きいでしょう。そして最後に、明日の朝彼らが下す決定に関して、メールで連絡をもらえるように願い出ました。そうして、徒労を感じながらも帰路に着きました。

帰り道、今後の状況とそれへの対応策について考えました。まず、よっぽどのことがない限り、彼女は出場するでしょう。よっぽどのこととはすなわち、日常生活に支障が出る程度の話です。それなら話は早い。皆を説得して病院に送るのも簡単でしょう。問題は、運動開始時点は問題ないのに、運動を継続するうちに膝への負担が増大し、その結果、膝の障害を進めてしまう場合。これは私がコーチングしていた選手ですでに経験済みでした。膝にはよくそういうことがあります。運動すればするほど悪化する、膝はそういう関節であるということを、すべてのスポーツをする人間は理解しておいたほうがいいのでしょう。リレー競技の継続時間は40~50分。それだけのオリエンテーリングという運動が膝にどれくらいの負担をかけるのか。私にはここまでの十分な知識がないので、予想もできませんでした。私にできることと言えば、運動を終えた選手をすぐに病院に送り、医師の診察と処方を済ませるということ、そして運動中の膝の負担を可能な限り軽減するようにテープによる保護をすること。そしてもうひとつ忘れてはいけないのは、どんな状況であっても、彼女に棄権を勧め、別な選手と変わることを主張すること。この3つを明日の行動予定としました。

歩いていると、いろいろな着想が浮かびます。目の前の選手権がそれほど大切なのだろうか、それと引き換えにして運動障害を一生抱えていく可能性を持つとしても、それを取るのだろうか。もし大切だとしても、リレーは完走しなければ成績が付かない。途中で症状が悪化して棄権する可能性が高いのに、それでもその選手に走らせなければならないのか。そんなことを考えているうちに宿に着きました。その夜はいつもより早く眠りに落ちました。

翌朝、腫れが引けたのと、歩くこと、軽く走ることはできたので、出場することにしたという連絡が入りました。私のするべきことは、運動すればするほど悪化するという状況をなるべく軽減させるように行動すること、そして競技終了後すぐに病院に送ること、この2つとなりました。もしも運動もできないくらいに腫れ上がっていたなら、との思いが交錯します。

会場までは、友人の車に同乗。選手権会場に到着後すぐに、問題のある選手の様子を見に行きました。歩行、軽い屈伸は問題なし。深く屈伸しようとすると膝に引っかかり感があるという点は、膝関節の問題に最もよく見られる症状と思います。運動すればするほど障害が悪化するということを伝え、棄権する意思がないことを再度確認しました。テープによる保護の前に、オフィシャルと呼ばれている彼と彼に集められたコーチ数人で簡単な意見交換をすることになったので、その場は控えました。意見交換上では、変わらずに、膝は運動すればするほど障害が悪化すること、現在の障害の状態を把握することは、意志でない限り不可能であること、そして障害が残った場合、彼女以外の誰もそれに対して保障してあげることができないことなどを話し、再度、棄権をするように主張しました。すると、オフィシャルと呼ばれている彼は目に涙を貯めました。この学生クラブには過去30年近くの歴史があり、特にリレー競技部門の女子選手権クラスにおいては、たくさんの入賞・優勝経験があります。その伝統を彼女たちにも何とかかなえさせてやりたい、と。出た、また伝統だ。この伝統という言葉が出た以上は、そして涙という訴求手段に訴えた以上は、この場にいる数人を私の主張で説得するのは難しいでしょう。結局、日本人とまとめられている行動様式は、こうして、ありとあらゆる難局に没入していったのでしょう。その難局が最終的には、人間一人一人を幸せにはしないということを理解する必要を、長年にわたって蓄積してしまったでしょう。なので私は、その伝統として語られる概念を対象化し、そこから真実を見出し、より自分のオリエンテーリングを向上させることが、学生時代から続く課題でしたし、こういった課題を持っていたからこそ、選手としての私があったのです。私は言いたかった。伝統を守ることが何になるのでしょう。そこで人間が幸せにならないとしたら、それは危険な仕組みです。それならば伝統という方法に固執するよりも、みなが幸せになる方向を検討する余地の方が重要です、と。ミーティングはこうして終わり、私は再び、説得の機会を失われたのでした。

選手の所に戻ると、彼女はそこにはおらず、他の選手の様子を見に行ったり、会場周りのレイアウトを確認して、競技の役に立てようとしていました。先に見つかったのは、私がコーチングしていた選手でした。私はこの一晩で彼女のことを考えることをしなかったので、すでにコーチとして必要なことをしていませんでした。そのため、最後に彼女の体調と状態を確認して、有益な一言を与えることができたらと思いました。正直言うと、一度に何人ものことをちゃんと考えてあげられるほど、私は器用ではないのです。緊張しているかとの問いに、緊張はしていないとの答えが返ってきました。しかし彼女は他人に対して自分の気持ちを伝えることで、不安や緊張を引き起こさないように常に行動するという傾向があるので、おそらくかなりの緊張をしているのだろうと思いました。こういうとき、人は、自分の行為の目的を、他者への関係性に落とし込もうとする傾向があり、彼女もまた、言葉を続けて、同じチームを走るメンバーのことを話題に上げ、彼女たちへの信頼を主張しました。けれど、残念だけれど、この競技は個人種目であって、自分に実力がない限り、望みは果たせないのだよ、と伝えたかったけれど、これを今まで教えてあげなかったこと、これは私の失敗でした。彼女とのコーチングは、個人種目での競技力向上を目的としていたため、リレーに関しては、リレーという競技はそれ以外の種目とはまったく変わらないこと、変わっているように思えるのは、多くの人がリレーに対して多くの曲解を抱いているからであること、を教える必要がありますが、それをしなかったのは私の失敗でした。そしてこの失敗が、この先、もっと大きな失敗に結びついてしまいました。

ひととおり会話を終えたので、個人戦と同じように競技するようにとのアドヴァイスともいえない言葉をかけ、障害のある選手が帰ってくるのを待ちました。彼女は歩いていました。会話をいくつかして、状態の確認を再度行いました。まず、階段を上り下りしてもらい、膝の状態を報告してもらいました。1段抜き、2段抜きとして、膝をある角度以上に曲げると痛みが出ること、膝を付く分には問題がないことを確認。次に座ってもらい、部分的に膝を圧迫しましたが、特定箇所が痛いということはなく、膝全体に痛みがあるというのは前日と変わりがありません。おそらく、圧迫によって痛みがでるというよりは、膝を動かすことで痛みが発生するのだと判断。運動中の痛みは覚悟しなければならないと思いました。深く屈伸しないこと、横からの圧力で膝が折れないこと、そして40~50分の運動が終わるまで継続して保護を続けること、この3つを考慮して、太腿とすねまで、膝の左右からテープによる屈伸に対する保護を重ね、しかもその保護も、運動の制限を2段階にすることで、テープが切れたとしても継続した保護が可能なようにしました。動きに制限が加えられているのですが、前方への重心移動という身体運動に対しては、それほど違和感なく関節を動かすことができるだろうと思いました。選手に対してしてやれることはここまででした。

次にすること。それは病院への輸送路の確保でした。実行委員会にそういう選手がいることを相談し、救急の委員を紹介してもらって、彼らと、競技終了後に選手を病院に送る手続きを考えました。幸いにもここから車で20分くらいのところに急患を受け入れてくれる整形外科があること、係の一人が自家用車で送ってくれることがわかり、輸送路の確保はこれで十分だと思いました。

次は、本人に病院へ向かう意思を持たせること。というのも、学生選手権には表彰式があり、もし彼女のチームが優勝や入賞することがあったら、きっと彼女は表彰式に出る事を主張するだろうからです。しかし怪我を押して運動を継続した場合、運動終了後には、患部は受傷直後以上の状態に悪化しているはずです。そうなると応急処置と医師の診断による予後管理を行う必要があります。すなわち、すぐに病院に行く必要があります。彼女にその意思を持ってもらうためには、自分の膝がどういう状況にあるのかを理解してもらう必要がありますが、運動直後は脳内物質の分泌の加減で、痛みや不安が軽減された状況にあり、冷静な判断は期待できないでしょう。かといって彼女と関係の浅い私が主張したところで、説得できる可能性は高くないでしょう、これまでと同じように。そこで、彼女と同じチームで競技を終えた選手2名に、彼女を説得するようにお願いすることにしました。彼女の走区は第3区だったので、彼女が競技中は他の2名は競技を終えているので、ちょうどよかった。2名に彼女の膝の状態と、膝の障害に関する正確な情報を与え、その上で説得を試みました。この説明によって、彼女たちは初めて自分たちがしていることの本当の姿をわかることができたのかもしれません。それは彼女たちに聞かなければわからないことなのだろうけれど。

準備はこれで整いました。後は彼女が競技を終えて会場に設置されているフィニッシュに戻ってくるだけです。その間、一度だけ彼女が走っているところを見ることができる区間があり、その動きを見ていると、膝の状態はさほど悪化していないこと、残り10~15分の競技時間も持ちそうだという予測を立てることができました。そしてフィニッシュ。チームの順位は選手権クラスで2位だったけれど。とりあえず無事に競技を終えることができてよかったと、競技を終えた3名が集まって、涙と共にお互いを褒め称えている姿を見て思いました。

でも、まだ今日やるべきことは終わっていないのだよ、みんな。そんなこんなでチームの2名は彼女に病院に行くことを強く勧め、彼女にその意思を持たせた。あとは救護係と打ち合わせしておいたとおり、彼女を車で病院へ輸送し、医師の診断と処置を受けさせました。

競技終了後1時間で医師の診察を受けることができました。病院ではレントゲン検査と関節内への穿刺を行いました。穿刺で抽出した関節液には少し血が混じり、桃色になっていました。きっと、私がコーチをしていた選手は、もっと血でどす黒くなっていただろうと考えて、私がコーチングしていた選手をあのようにしてしまったすべてのことに対して、強い怒りを感じました。話を今回に戻すと、彼女の膝の状態は、軟骨が運動の衝撃によってすれて剥離し、それが関節液に混ざった状態であること。その軟骨のすり減りが膝の障害の原因でないかということ。1~2ヶ月安静にしていればよくなること。その期間は違和感があると思うが、違和感は徐々になくなっていくだろうということを伝えてもらいました。まだ完全に安心できるわけではありませんが、とりあえず、山場は越えたのです。

女子選手権クラスのチームは完走を果たし、準優勝を手にしました。しかし、学生クラブ全体の成績はというと、クラブが創立されて以来続いてきた、選手権大会リレー競技部門における選手権クラスと一般併設クラスの全チーム完走という記録が途絶えました。それは、私がコーチングしてきた選手が、一般併設クラスで失格してしまったためです。私のコーチングの不十分を実感すると共に、彼女に4年間、楽しいオリエンテーリングをさせてあげることのできなかった学生クラブに対する、お仕置きなのかなという気がしました。そこにいる人間を幸せにしない仕組みが存在していて、こういうしっぺ返しを喰らってしまったのかもしれない、と。ただの個人的な感傷、その選手に関係した人間の感傷に過ぎないのかもしれませんけれど、そう思えて仕方がありません。そして、そういうお仕置きの果てに、学生クラブの衰退と崩壊が待ち受けているような気もします。

伝統や記録、そういうものに引きずられるクラブ員。その躍動の中でオリエンテーリングもしくは学生クラブそのものの持つ、人間に対する魅力の発見が損なわれ、クラブの衰退が始まります。衰退を認識したクラブ員は、クラブ員がもっと「そういうもの」に動員されるようにしなければならないという切迫感を持ってしまい、さまざまな言動を行います。しかしそれが、学生クラブの衰退をより加速して、最後に学生クラブの崩壊が位置づけられる。私がかつて所属した学生クラブでは、かつてオフィシャルと呼ばれる指導者となっていたある人物の言葉がより教化された形で伝えられて、それによって上記のような状況が発生し、今に至っています。しかし、クラブ員ひとりひとりがオリエンテーリングの魅力や学生クラブの魅力を独自に発見することなしに、少なくない投資に対し、クラブに所属する意味や価値を発見することができるのでしょうか。私は不可能だと思います。それではどうして、そういう切迫感を持ってしまうのでしょうか。そこに今後の課題が存在しているとの確信を持っています。

ではその後のお話。この選手権大会で怪我をした女子選手はその後、茨城チームの中心人物として、また、2008年度のユニバーシアードの日本代表として活躍。ただしヨーロッパのオリエンテーリングに対しては最後まで対応ができなかったようで、とても苦戦していましたが。そして私がコーチングした選手は、2008年度の全日本オリエンテーリング選手権リレー競技部門で元気にオリエンテーリングを楽しんでいました。私はというと、全体へ動員されることを避けるために、彼女を最後にして、コーチングはおそらくもうしないという決意を固めました。そして、次の課題を解決するために、新しい生活の準備を始めたのでした。


そんな、2008年の年末。おしまい。