日本を含めた世界で実践されているオリエンテーリングへの提案

この文書は、2008年現在において、日本を含めた世界で実践されているオリエンテーリングへの提案です。この文書は、著者である坂本貴史が2003年から2008年にかけて、日本とヨーロッパを中心として複数の国でオリエンテーリング実践を観察した結果に基づいています。

私の提案は一貫しています。すなわち、オリエンテーリング実践の形式を、個人の行為を中心に再構築するということです。

この文書の根底にある概念として以下があります。オリエンテーリングが普遍的に持つ人間を魅了する点の再発見、オリエンテーリングにおいて大会や選手権という空間の持つ説明力と関係性、オリエンテーリングは一人の人間の行為であるという視点を基にして理解を新たにした現在のオリエンテーリング実践の形式、そして数あるスポーツのひとつとしてのオリエンテーリングの価値、があります。


  1. オリエンテーリングという行為
  2. オリエンテーリングという競技
  3. オリエンテーリングの実践
  4. オリエンテーリングの練習
  5. 日本における練習を中心としたオリエンテーリング実践案
  6. 結語

1. オリエンテーリングという行為

人間の行為のひとつひとつには意図があります。そして、世界にはオリエンテーリングを行為する人がたくさんいます。オリエンテーリングを行為する人間にとって、その行為はある意図を持っています。それでは、私たちは何故オリエンテーリングをするのでしょう、その普遍的な魅力は何でしょう、そして、そこで再発見されているものとはいったいなんなのでしょう。オリエンテーリングがすべての人間を魅了する点、私はこれを、オリエンテーリングの普遍性と呼びたいと思います。

ここで言及しておきたいのは、オリエンテーリングという事物が存在しているのではなく、人間が存在しなければオリエンテーリングという行為もないということです。オリエンテーリングは事物ではなく、人間の行為であるという点を強調します。

オリエンテーリングという行為の普遍的な魅力

人間はオリエンテーリングという行為によって、競技領域への理解を深め、それを通じて自分の身体構造や精神構造に対する理解を深めます。競技領域への理解というのは、人間が居住している空間を把握したいという人間の本性(ほんせい)であると言い換える事ができます。自分の身体構造や精神構造に対する理解というのは、人間が生物であるという制限や可能性に対する理解であり、身体表現を行う人間の本性であると言い換える事ができます。オリエンテーリングという行為の持つ人間を普遍的に魅了する点はここにあります。

オリエンテーリングという自主的な行為

オリエンテーリングという行為が人間を魅了する点に着目してみましたが、今度は人間がオリエンテーリングという行為を行う理由に着目してみます。人間はオリエンテーリングという行為を通じてその普遍的な魅力を発見し、その魅力を再発見するためにオリエンテーリングをするということができるでしょう。オリエンテーリングの普遍的な魅力を発見することなしには、人間が進んでオリエンテーリングという行為を行うことはないと言えます。

2. オリエンテーリングという競技

次に競技としてのオリエンテーリングについて考えてみたいと思います。

競技とは競うこと、つまりある同一条件において行為を評価しようとすることです。つまり、ある時空間におけるある瞬間において、その瞬間において行為を行わない第3者による評価に基づき、複数の行為者が、身体運動を通じた行為の評価を競う、と言うことができます。これはありとあらゆる競技に関する言及です。

ここで気になるのが、その瞬間において行為を行わない第3者による評価、というところです。オリエンテーリングの場合、これは何になるのでしょうか。それは、競技規則です。すべての行為者は競技規則に基づいて行為を行い、競技規則に基づいた評価を受けます。実際の評価基準は、オリエンテーリングの場合は時間です。複数の行為者が存在していることを前提として、より短い時間で行為を終えた人物を、その瞬間におけるその行為において、最も優れた人物とするのです。ここでは、より短い時間で行為を終えることに最上の価値を見出しています。

ここで、競技という概念の前提には、複数の行為者の存在と、比較するという概念が存在しているということを強調します。複数の行為者は複数の個人であっても、瞬間の異なる同一の個人でも構わないのでしょう。

以上をまとめると、競技という仕組みそのものに独立した意味があるわけであり、オリエンテーリングという行為の持つ意味とは切り離して考えることができます。そしてそこには、複数の行為者という関係性と評価という概念が存在しています。

3. オリエンテーリングの実践

ここまで、人間がオリエンテーリングをする理由と、競技という概念に基づくオリエンテーリングの構造を明らかにしました。次に、それらを踏まえた上で、人間がオリエンテーリングをどのように実践しているのかを明らかにしたいと思います。私はこれまでさまざまな場所でそこにおけるオリエンテーリング実践を観察してきましたが、それら実践例には共通点があります。それは、オリエンテーリング実践の多くは大会という空間においてなされるということです。それでは、何故オリエンテーリング実践はオリエンテーリング大会という空間に集中するのでしょうか。大会以外のオリエンテーリング実践例はないのでしょうか。

オリエンテーリング大会という空間

オリエンテーリングにおける競技領域は常に移り変わる状態であり、地図表現は人間の認識の限界とその表現の限界を含んでいます。地図を作成した人物もコースを設定している人物も運営者も、ましてや競技者も、競技領域が実際にどうなっているかを知っているわけではありません。地図を調査する人物は方向と距離という手段を多用することで現実の特徴を認識し、等高線の連続によって地形を推測します。地図を作成する人物はその時々の道具が表現に与える制限に従い、地図を図として描き出します。コースを設定している人物は地図を作成した人物の意図を地図から読み取り、設定しようとしているコースの持つ概念をコントロールの連続で表現しようと努めます。運営する者は地図に表現されたコースにしたがって現地を探索し、フラッグとユニットを設置します。競技する者は地図とそこに設定されたコースを見て、地図を作成した人物が地図に表現した意図を推察し、コース設定者が地図に表現したコースの概念を体現するために、身体運動といくつかの基本的な技術を駆使します。オリエンテーリング実践空間としての大会は、空間の始まりから終わりまで、すべてがこれらの関係性によって成り立っています。

関係性の体現

では、なぜこれら関係性が存在しているのでしょうか。それは、大会という空間は、競技という関係性に基づいて成立しているためです。先に述べたように、複数の行為者、そして第3者による評価、そういった関係性を再現する空間として、オリエンテーリング実践空間としての大会が存在しています。

オリエンテーリング実践の持つ課題

以上見てきたように、大会というのは関係性によって成り立っていて、その関係性は、競技という概念の持つ評価基準に基づいています。大会という実践空間には、オリエンテーリングの持つ普遍的な魅力と、複数の競技者を評価する空間という2つの概念が混在して存在しているということになります。

オリエンテーリング実践がほぼ大会に占められるというのはすなわち、ある人間はオリエンテーリングという行為を行っている時間のほとんどにおいて、競技規則という基準による評価にさらされているということです。そこに現在のオリエンテーリング実践の持つ課題が存在しています。先に述べたとおり、オリエンテーリングは人間に対して普遍的な魅力を持ちますが、それと競技とは切り離して考えることができました。オリエンテーリングの普遍的な魅力を発見することなしには、人間が進んでオリエンテーリングという行為を行うことはないので、大会という空間が競技を体現する関係性としての場という意味合いを強めたとき、そこにオリエンテーリングの普遍的な魅力を発見することは難しくなってくるのではないでしょうか。

課題の克服

では、こういった課題をどうやって克服していったらよいのでしょうか。それは、これまで言及してきた関係性の網の目からオリエンテーリングを開放することです。競技規則をなくしろと言いたいわけではありません。オリエンテーリング実践のうち、大会というものの占める割合を低めること、競技規則による評価を前提としない、個人が個人の判断や評価に従ってオリエンテーリング実践を行える空間を確保すること、そして、行為を評価されない空間を個人が主体的に選択してオリエンテーリング実践を行うことです。大会の数を減らしていこうと言いたいのでもありません。オリエンテーリングを実践している時間の合計のうち、大会という空間における割合を低め、大会という評価空間以外での実践を行う割合を高めること、具体的には、評価者が存在しない空間で、行為者の判断による実践を行うことです。具体的には、オリエンテーリング実践の中心を、大会を中心とした形式から、個人の練習という行為を中心とした形式に移していくことです。端的に言うと、大会により多くの人間を動員することでその行為の質を計るのではなく、個人がオリエンテーリングという行為を自ら行うということに対して価値を見出すということです。

4. オリエンテーリングの練習

オリエンテーリングの練習について考えてみます。練習という人間の行為は、ある行為の上達を目的として、その行為において行為者が重要だと判断した動作や考え方を、行為の中で試すことによって、より効率的で効果的な動作や考え方を発見すること、と言う事ができます。ここで着目したいのが、「行為者が重要だと判断した」という箇所です。外部から情報や考え方を導入したとしても、結局のところ、行為者が自分自身にとってのその有効性を主体的に判断することなしには、発見には至りません。そしてそこに、練習の面白さが存在しています。すなわち、まず判断を行い、次に練習を実践し、その結果からよりよい判断の材料を見出すという循環が存在しているからです。行為者は、練習をすることによって、その行為を向上することができます。そして、行為者自身の可能性に着目することで、行為者の存在に対する信頼を獲得することができるということです。練習という行為の持つ意味とは、試行錯誤する人間存在に対する信頼を生み出すという点にあると言えるのだと思います。

以上から、オリエンテーリングにおける練習とは、2つの意味を持つことを明らかにしました。ひとつは、人間存在に対する信頼であり、もうひとつは、オリエンテーリングの普遍的魅力の発見です。

5. 日本における練習を中心としたオリエンテーリング実践案

大会以外のオリエンテーリング実践

このような考え方に基づくと、オリエンテーリングに見られるさまざまな課題とその解決について考えることができます。日本を含めた世界で実践されているオリエンテーリングはその多くが大会という評価を中心とした空間であり、練習という自分自身による試行錯誤の場が少ないため、日本で「トレーニング」と呼ばれている行為の多くは、体力の増強や地図認識の正確さを高めるための反復した運動、もしくは複数の行為者による社交を主な目的としています。そのため、オリエンテーリングという行為の向上が阻まれていると言えます。反復した運動や社交では、試行錯誤から生まれる発見が存在しないためです。

練習の基礎データとしての記録

人間の練習は、基礎情報を正しく理解し判断することで、その有効性を高めていきます。また、不十分な情報は誤った判断の原因となります。そのため、その基礎情報となるオリエンテーリング実践記録の蓄積と公表は、とても重要です。ここに、行為者団体としての協会や連盟を組織する意味が生じます。現在、協会や連盟は強化事業や選手権開催などを通じて、儀式と示威を中心とする活動を行っていますが、しかしその本質的な存在意義は、オリエンテーリングという行為を行うことによって行為者がさまざまな発見をすることができるように、練習の基礎データとしての記録を整え、さらに、行為のための環境を整備するために、さまざまな集団との交渉を行うということです。より権威あると思い込んでいる大会を作り出すことやより権威あると思い込んでいる大会に動員した行為者の数を活動の価値基準においている場合、その行為は本来の意味を失います。本来の意味を失うということは、その行為の魅力を損ね、その行為を行う人間を減少させるということです。

パーマネント・コースの有用性

日本オリエンテーリング協会は、その組織が設立して以来、パーマネント・コースという事業名で、世界各地で個人がオリエンテーリングを実践できる場を提供してきました。パーマネント・コースと呼ばれているのは、ある競技領域に設置されている複数の鉄製の目印と、その目印の場所を示した地図、そして地図化された領域に利害関係を持つ個人や集団に対する連絡の組み合わせです。この競技領域の使用に関して、日本オリエンテーリング協会を構成する各都道府県のオリエンテーリング協会が管理を行い、地図の販売をその競技領域に近接している商店や施設管理者に委託、鉄製の目印の設置にはその土地所有者の許可を得ています。競技領域を描いた地図は、その領域に利害関係を持つ人間から森林の通行を期待されていないという理由から、小径や小道と等高線、舗装道路や住宅地などの情報に限定して描かれています。オリエンテーリング大会のために準備された地図と比較すると、描かれている情報は限られており、その位置も練習に利用するには十分な正確さがあるとは言えないものが多いという印象を、私は持っています。しかし、オリエンテーリング大会のために準備された地図を下にして作られたパーマネント・コース用地図の場合は、描かれている情報は利用するために十分な正確さを持っているため、練習に利用するに十分な正確さを持ちます。埼玉県や茨城県に設置されているパーマネント・コースの中には練習の場として十分な意味を持つものが数多くあります。

練習の場としてパーマネント・コースを利用する際に最も重要なのは、その図化領域に利害関係を持つ個人や集団に対して、利用に関する交渉がされているという点です。個人が練習で利用するくらいでは、よほど日常性に反した言動を行わない限り、そういった個人や集団と問題を起こすことはないと考えることができますが、利用する側としては、あらかじめ誰かが利用するということがそういった個人や集団に伝わっているという安心が、充実した練習につながると言えます。たとえそこに鉄製のコントロールが設置されていなくても、こうした交渉が事前に行われているという点は大きな利点です。

オフシーズンの設定

加えて、試行錯誤を重ねるためにオリエンテーリングを実践することのできる期間として、オフシーズンの設定を上げます。ここで言うオフシーズンとは、その期間にオリエンテーリング大会に参加しなくても、評価やランキングの点で不利にならない期間とします。現在の日本におけるオリエンテーリング実践は年間を通じてさまざまな場所で大会が開催されており、その多くは日本オリエンテーリング連盟の公認大会であったり、日本ランキング指定大会であったりします。これら大会への参加が評価基準として設定されているため、選手は年間を通じて大会に参加するためのさまざまなことをしなければなりません。しかし選手が競技能力を向上したり、体力を向上したりするためには、1~3ヶ月の計画した練習を行う必要があるため、選手は、こういった充実した期間を過ごす機会を損なわれていると言えます。

そこで、年間のうち半年ほどをオリエンテーリングのオフシーズンとして設定し、この期間に開催される大会を評価やランキングの対象から外すこと。具体的には12月から5月までに開催されるオリエンテーリング大会に対して、日本オリエンテーリング協会は公認大会への指定を行わないこと、そして日本ランキングを設定している団体はランキング指定大会への指定を行わないこと、この2点となります。

6. 結語

日本を含めた世界で実践されているオリエンテーリングの提案は、以上です。まとめると、より多くの人間をオリエンテーリングに動員するためのオリエンテーリング実戦形式を減らすこと。個人が個人の判断でオリエンテーリング実践のできる空間を確保するためにオリエンテーリング集団を組織すること、そして個人が主体的にオリエンテーリングという行為の持つ魅力を発見するということに価値を見出すこと、この3つです。


以上、おしまい